アサッテの人|諏訪哲史


アサッテの人 (講談社文庫)

「私」の書いた小説という形式でつづられるこの作品は、芥川賞、群像新人文学賞ダブル受賞という輝かしい経歴を持つそうです。
 そう言えば、名前を聞いたことはあるな、と手にとって、読んでみることにしました。
 さほど期待せずに読みましたが、面白い。
 実のところ、現代文学というものにあまり食指が動かない私ですが、すらすらと読むことができました。

 ある時行方をくらませた「私」の叔父は、幼いころに吃音に悩まされていました。吃音を治そうとする叔父の努力を、彼の代理人として部屋の後始末に向かった「私」はその日記によって知ります。
 長年悩んでいた吃音が治ったことに気づいたとき、叔父はそれが言語の頸木からの解放ではなく、より大きな定型の輪にとりこまれたにすぎないことに気づきました。叔父にとって、定型というのは、忌避すべきものであり、その思いゆえに、奇声を発するという行為に走ることになってしまいます。
 題名にある「アサッテ」とは、いわゆる「アサッテの方向」という意味であり、叔父は世間の定型からは永遠に交わることのない「アサッテ」に進み続けることにしたのでした。
 しかし、その生活が続くにつれ、叔父の行なう「アサッテ」の行為は彼の生活サイクルに組み込まれ、その「アサッテ」事態が定型となるという悪循環に陥ってしまうのです――

 奇声を発するという行為自体に、共感できるところはもちろんありませんが、叔父の日記からは鬼気迫るものが感じられ、その行為がさもありなんと思わせる力があります。言語に対する執拗なまでの記述も、なかなかくせになります。
 最後の「追記」の部分は蛇足では、と思うのですが、いかがなのでしょうか?


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