死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)

 読み終えて、ふう、とため息をつきました。
 未完の作品でした。隆慶一郎氏の急逝により、残りの三話(十六話~十八話)が書かれないまま終わってしまっていました。
 ああ残念。
 せめてもの救い(といってよければ)は、残された三話が、全て主要登場人物の死に関するものだったというところでしょうか。彼らの死を眼前にせずには済みました。

 以前、「かくれさと苦界行」では、色々とネガティブなことを書きましたが、実際のところ隆慶一郎はうまいのです。
 血沸き肉躍る思いがしました。

 時代は、徳川家光の時代。佐賀の鍋島藩に一人の浪人がいました。男の名前は、斎藤杢之介。彼は日課として毎朝、「死ぬ」訓練を行ないます。布団の中で、自分の死を想像し、実感することで、その日その日を「死人」として生きるのです。
 すでに死人となった身には、恐れるものも、苦労もなく、勇猛果敢に戦うことができるのです。
 友人である中野求馬は、主君に意見し、割腹した父親の姿にあこがれ、意見できる立場に立つため、出世に励んでいます。
 巨大な猿を連れた牛島萬右衛門もまた、死人として、勇敢な「いくさ人」です。
 鍋島藩を天領としたい、老中松平信綱は、鍋島藩に対して様々な裏工作を仕掛けてきますが、杢之介ら三人は、主君鍋島勝茂のため、自分の名誉のために駆けずり回り、戦いを挑むのです。

 戦時中の陸軍将校が愛読していたという「葉隠」という歴史書を下敷きにした作品だそうです。これを実際の人間に当てはめるのはどうかと思いますが、杢之介、求馬、萬右衛門の生きざまを、存分に楽しむ分には罰は当たらないはず。

 隆慶一郎は、ノンフィクションとフィクションを絡めるのがうまいのですね。
 日本の歴史をきちっと確認しておかねばならないです。